ゴルフ業界で輝く人物たちの歩みに迫る――。
このブログでは、ゴルフ界で活躍する人々の人生にスポットを当て、その想いやキャリアの裏側に迫る特別企画をご紹介します。
45歳からの挑戦!ドラコンプロへの道。
~人生に遅すぎる挑戦なんてない。
45歳からプロゴルファーへのリアルストーリー~
第1回「18歳、所持金5円で東京へ」
私は、1963年に大阪の地に生を受けました。
今でこそ東京都内に拠点を置いている私だが、原点はこの地にある。
音楽に夢中だった18歳のとき、私は思い切って高校を中退。ミュージシャンになるために単身、東京へと上京した。
半年後、ある大手プロダクションに所属が決まり、デビューも目前に迫っていた。音楽で生きる夢が一歩現実に近づいた瞬間だった。しかしその直前、私は事務所を辞める決断をする。
理由は、事務所が求める音楽と、自分が本当にやりたかった音楽との間にあまりにも大きなギャップがあったからだ。
「このままデビューしたら、自分の音楽を嫌いになるかもしれない」
そんな直感があった。だから、たとえ目の前にデビューというチャンスがあっても、あえてそこから身を引いた。 気づけば、所持金は5円。あてもなく東京の街をさまよう日々が始まった。
生きるために飛び込んだのは、住み込みの飲食業だった。初めての環境、初めての仕事。それでも、生活を安定させながら、音楽の道を諦めずに模索し続けた。
その後も、大手レーベルから声がかかることは何度かあった。けれど、芸能界の裏側や矛盾した現実を目の当たりにするたびに、「音楽を嫌いになりたくない」という想いは強くなる。
私は決めた。
「音楽は、生きるための手段にはしない。本当にやりたいこととして向き合いたい」と。
こうして、音楽と仕事を切り離し、音楽は“やりたいからやる”というスタンスで活動を続けていくことにした。

次回は、飲食業を通じて気づけば銀座にカレー屋を構え、多彩な活動を同時にこなしていくまでの物語をお届けします。


1963年生まれ。
かつてはミュージシャンを夢見て、飲食業や広告代理店など紆余曲折の道を歩んできました。
45歳からゴルフに挑戦し、飛距離を競う“ドラコン”の世界へ。
遅すぎる挑戦と思われながらも努力を重ね、いまではJGRAプロフェッショナルメンバー、JPDAドラコンツアープロ、ヘッドスピードトレーナーとして活動。
最高飛距離は323ヤード。
「夢に年齢の壁はない」──その想いを胸に挑み続けています。

